舞台はどこだったのか
二つの国、二つの言語、二つの商習慣、そして両方に同じ問題。通信事業者は国が持つ最も露出したインフラの一部を運用し、規制当局は善意を証拠として受け取りません。この仕事は、複数のセキュリティワークストリームを同時に進め、グローバルチームが現地チームと並んで働き、ジャカルタの朝と東京の午後を同じ目標に向け続ける規律を意味しました。
何をしたのか
インドネシアでの仕事は、セキュリティを証明できるものにすることでした。地域の規則に沿ったプログラムを、準備度評価から導入まで届け、6か月で大手事業者の NIST 準拠度は30%以上上がりました。SOC ロードマップを書き、脅威検知を改善し、すでに知っている攻撃パターンへの対応を自動化しました。アナリストがまだ知らないものに注意を向けられるように。
日本では事業者は若く、速度が違いました。セキュリティ分析と自動化を率い、チームが自作したツールを SOC の SIEM につなぎ、検知したものを運用全体が動けるものにしました。サイバーセキュリティの緊急事態が来たとき、経営層向けのセキュリティ意識向上を行いました。緊急時に最も重要な決定を下すのは、ログを読まない人たちだからです。取締役会向けに書いた所見が、そのあとの戦略ロードマップを形作りました。
結果はどうなったのか
準拠度の数字の向こうに、二つのこと。インドネシアの大手通信事業者との包括的なセキュリティサービスの戦略的提携、そして脆弱性スキャナー製品の新しいパートナーと顧客導入。そして手元に残した教訓が一つ。ある文化では機能し別の文化では機能しない対策は、そもそも対策の問題ではなかったのだ、ということ。
